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Result ¥9,900,000
1960年代末から1970年代後半にかけて、北米市場で絶大な人気を誇ったS30型初代フェアレディZ。日本では2ℓ直6SOHCエンジンL20型を搭載するモデルが主流だったが(1971年にL24搭載の240Z追加)、北米ではL24/L26/L28型を載せる240Z/260Z/280ZがDATSUNブランドとして販売された。
コストパフォーマンスに優れるスポーツカーとして幅広い年齢層に受け入れられ、のちのモデルも含めて全米規模のオーナーズクラブが存在するなど地位が確立したフェアレディZ。1996年に北米でZ32型が販売中止になったことを機に、北米日産が純正パーツを集めて240Zをレストアし、限定販売するプロジェクトが持ち上がった。そこで誕生したのが“ビンテージZ”である。
当初は受注ベースを含めて200台の生産、販売が予定され、北米日産から依頼された西海岸に点在するディーラーやショップが実際に車両制作をスタートしたのだが、レストア作業に要する費用と時間が想定を上回ってしまったため採算ベースに乗らないことが発覚。また、それに加えて応募者が殺到したこともあって状況はさらに悪化し、ロールアウトしたビンテージZの登録(VZCR、ビンテージZカーレジスター)を行なっているIZCC(インターネットZカークラブ)の記録によれば、37台(39台説もあり)が生産された時点で、プロジェクト自体がストップする状況へと追い込まれることになってしまったという。
実際に生産された37台の内訳は北米日産が2台を所有し、35台が個人オーナーの手に渡ったとされている。いずれも、センターコンソールのプラーク(バッジ)とリヤクォーターウインドウのデカールがビンテージZの証で、北米日産が発行した鑑定書やオーナーズマニュアル、保証書も各車両に付属する。
日本上陸を果たしたビンテージZは少なくとも3台が確認されている。当時、カリフォルニアに足を運んだオーナーがユニバーサルシティにあるディーラー“Morrie Sage’s”のショールームでビンテージZを見つけ、1号車を含む3台を購入して日本に持ち込んだ。1号車はすでに国内の別のオーナーの手に渡っているが、残る2台は購入したオーナーが約20年にわたってガレージ保管しており、今回のTASオークションwith BH Auctionに出品されることになった。
2台とも走行わずかに数kmの国内未登録で、リフトに上げた状態で保管。シルバーの個体(HLS30-56609)はオリジナルのまま、イエローの個体(HLS30−05811)はRB26を載せた仕様でナンバーを取得する予定だったというが、どちらも目標が果たされることなく時間だけが過ぎ、今日に至っている。
ちなみに、日本に持ち込まれたままの状態でボディはほこりを被っていることから、2台はいわゆる“納屋もの/Barn find”に相当する。単にレストアが施された240Zではなく、北米日産が主導したプロジェクトによって生み出されたビンテージZは、言わばメーカーお墨付きの組み立て新車である。それだけに価値も希少性も高いことは言うまでもない。しかも、発売当時のコンディションのまま保管されていた個体は世界中を探しても、おそらく今回のオークションに出品される2台をおいて他にはないと思われる。